2016年09月25日

SDレビュー2016に行ってきた

久々の仕事抜きの外出。
大学の後輩の山下君がSDレビュー2016に出展したということで行ってきた。

山下君にばったり会って、いろいろ話が出来た。
私の持っている建築言語とか概念の外側にあるような自由な雰囲気を感じて新鮮だったな。
頑張っているね!

全体としての感想だけど、
SDレビュー自体が建築家の概念とかアイディアに対するチャレンジを評価するのだと思うけど、
アイディアに走りすぎているのか、冗長性を少なくすることで得られる自由を押し出す案が多いのが気になった。
まるで昨今の日本の世相を反映しているような・・・。

みんな現実との格闘の中で形にしているから、それは必然的な話かもしれない。

posted by rio at 18:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 建築探訪

2016年08月28日

展覧会 : HOUSE VISION 2

青海で企画されている建築展覧会のHOUSE VISION2に行ってきた。
幸い雨が降らず、ぐるぐると見て回れた。

・・・が最終日でかつ日曜だからか、ものすごい人出。
チケットを買うまで行列に20分は並んだか・・・。
各建物にもながーい行列が出来ており、一部の建物が見れず。
・・・時間が押していたため、そこそこに切り上げざるを得ず。
とても残念。

前回もそうだったけど、展覧会という制約や条件をうまく生かして
自由な発想やコンセプトが感じられて楽しい展覧会だった。
(断熱性、収納量、耐久性、使い勝手、などは無視して
コンセプトを先鋭的に表現しているのがこの展覧会の面白いところだ。
建築におけるファインアートのような。)

五十嵐さんのとか面白かったな〜。
下の写真はアトリエ・ワン。昔からあるような形式に現代の感性を取り込むような建築で、とてもすがすがしい。
長谷川さんのは入れなかったけど、外壁の木の使い方が良かった。
良い刺激になりました。
160828-2.JPG

ちょっとびっくりしたのがこれ。
これも体験出来ずじまいだが、みんながVRのゴーグル覗いていてなんだか不気味。
将来のリビングもこういう風景が生まれるのかしら。
個人的にはARの方が興味あるが、もう少し待たなければいけないかもしれないね。
160828-1.JPG

その後工務店と打ち合わせして帰社。
会社に帰ったとたんに雨がどっと降ってきた。
posted by rio at 20:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | VITからのお知らせ

2016年07月12日

スタッフ募集

1名採用が決まりましたが、引き続きスタッフを募集します。
現在アーキテクチャフォトジョブボードでも掲載しています。


■設計スタッフ
業務内容:共同住宅・商業施設・オフィスビル・高齢者専用住宅・工場・施設改修・注文住宅等の意匠設計監理
雇用形態:正社員
応募条件
  • 意匠設計監理業務5年以上
  • JW-cad必須
  • Revit・SketchUp経験者優遇
  • 建築の法的な知識や探査精度が高い方
給与:月給25万円〜 (設計実務経験を考慮)※試用期間1ヶ月


会社名:一級建築士事務所 株式会社VIT
勤務地:〒185-0021 国分寺市南町3-4-12-フタバビル4F
最寄り駅:JR中央線国分寺駅から徒歩3分
交通費:12,000円まで
勤務時間:9:00 〜 18:00(実働8時間)
休日休暇:日曜・祝日・夏季休暇・年末年始休暇
待遇:各種社会保険


メールにてご連絡ください。
面接では履歴書とポートフォリオをご持参ください。
面接を行ってから1週間から3週間の間に採用の可否をご連絡いたします。



posted by rio at 13:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | VITからのお知らせ

2016年06月10日

雇用という概念の終焉(1)

NHKのクローズアップ現代で大学生の二人に一人が奨学金を受けているという回があった。
にわかには信じがたいが、社会人となって働き始めても、
給料が少ないため、その返済に困窮して自己破産する人が急増しているという。
自己破産すると連帯保証人となった親にも請求が行き、親まで自己破産するケースがあるという。
そんな・・・ばかな!



・・・この稿は数回に分けます。
私たちは人工知能が多くの職を奪うかもしれないという論が巷に出回る過激な時代に生きています。
18世紀の産業革命なんて生ぬるい話ではありません。
プログラミングを多少でもかじればその威力が分かります。
これは恐ろしいことでもあり、同時に興味深いことです。

私は技術者、あるいは芸術的な側面も持つ建築家という職を選びましたが、
経営者としての側面もあります。
長くはなりますが、今までの私の経歴や経験したこと、業界の現実を記録的に書いたうえで、
さらに未来の働き方を考えてみたいと思います。
ちょっと遠回りになっても書いておきたいと思います。
もっと違う働き方の考え方があると思ったら是非意見をください。
これから建築の道に入りたい人も是非一緒に考えてみてください。

なお、一連の投稿名である「雇用という概念の終焉」というのは
我々のような士業にのみ限っての話で、他の職種については述べません。
あくまで私の知りうる限りの範囲で書きます。



弊社がまだ個人事務所だったとき、奨学金を受けていたスタッフが返済に困り、
返済のため、月給を上げて欲しいという相談を受けた。

今以上にがんばれるか?
もちろんやります。
という約束の元に給料を上げた。
その子のその時点での稼ぎには合わない額だったが、
将来に期待して多少の昇給をした。
そんなことは初めてだったけど、見所ある子だと思っていたから合意した。

しかし2、3ヶ月後に彼は辞めたいと言った。
彼なりの切実な理由があったと思う。

弊社は意匠設計事務所だが、今でこそ主要業務ではないけれど、当時は木造の構造計算の仕事をたくさんやっていた。
構造計算を覚えることは意匠設計にとって、とてもメリットが大きいからだ。
売上をあげて事務所を経営的に安定化し、スタッフの給料を安定させられる。
そして構造での経験や知識が増えれば意匠設計に即座に反映される。
つまり意匠設計をやる上での基礎が効率的に身につけられる。

だから個人事務所時代は構造計算を1年やり、
その上で意匠設計を行うという段階的に教えていく方法をとっていた。
ところが純粋な意匠事務所に勤めている友人は意匠設計の実務をどんどん覚えているという。
天空率の計算もできるようになった、という。
天空率なんて自力で一日でできるようになるよ、といっても彼には分からない。
経験がないのだからそうだろう。
(例えば休日に自分で試しに本でも見ながらやってみよう、・・・とはしない、
教えてもらわないと出来ない、というのは現代っ子の特徴なんだろうか?)
・・・で、焦っていて、辞めたいという。
気持ちはとても分かる。
でも長期的な視点で見ればそうでもない。
天空率なんて大した話じゃないのに。

私が大学院を卒業して設計事務所に勤めていたときは月給12万だった。
本当に苦しかった。
毎日10時から終電まで働いて、家に帰ってからコンペに取り組み、
3時ぐらいに寝るという生活を続けた。
お給料では生活できないので、知り合いでも無い人とルームシェアをして家賃を折半した。
プライバシーなんて全く無い。
でもお金が苦しかっただけで設計事務所には感謝している。
業務時間が長かったのは私の力が足りなかっただけで、貴重な経験をさせてもらったと思っている。
本当に黄金のような時間だった。
今だから分かる。
だから今苦しくても、この時間は幸せな時間なんだよ、とスタッフに言ってもたぶん誰もピンとこない。
まあ、当たり前かもしれない。

今、当時の設計事務所での仕事と同じことをやったら
1/100ぐらいの時間でそれ以上の成果を上げられる。
逆に言うと、どこの設計事務所でもそうだと思うが、設計業務経験15年の人間に対して
新人100人が束になってもかなわない。
(若い人の武器は発想力とか感性の部分、そして体力だ。それしかない。
若いときは常識とか経験と言ったリミッターが無いので発想も自由だ。)

当時は労働基準法なんて関係ないと思っていた。意識すらしていなかった。
建築家になるために常に前に進まなきゃ、・・・と、これだけだった。
自分が未来のために前に進みたいのに労働基準法とか、はっきり言って邪魔なだけである。
「こんな働き方おかしい」
とかいうポスターを見かけたこともあるが、ちゃんちゃらおかしいと思っていた。
なぜなら自分でどのような未来に進みたいか、
どうすれば自分の未来につながるか、
他人に決めてもらっているような考え方でないと、このような発言にはつながらないからだ。
自律的に自分の未来をデザインできていないってことだろう?
(でも今はそれもわかる。社会状況もある。世の中いろいろな人がいる。だから法人化した。)

一番きつかったのは年に数回来る住民税などの出費だ。
当時は税金にも疎かったし、貯蓄なんて余裕は無いから誠に手痛い。
告白しよう。親に泣きついたこともある。
ありがとう。大学院まで出してくれて、しかも働いているのに仕送りしてくれた。
今思えば情けないが、当時は毎日限界まで働いているのでそんな感謝の念の余裕すらない。
だから本当は自分の人生のデザインが出来ていたのかというとそうでもない。
金銭的に成立していなかったわけだから。

次稿では私の1回目の独立と敗北について書こう。



posted by rio at 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思考記録

2016年06月02日

デザインとはつまりなんなのだろう?

学生の頃に読んだ本で(確か鹿島出版の黒本だったと思うが)デザインというのは人口がふくれあがったときの、大衆のためのアート、それがデザインなのだ、という論旨の本を読んだ。
これはかなり影響を受けた。

ではデザインという概念の歴史的経緯は分かったとして、とどのつまりデザインとは何だろうか?

効率を良くするモノだろうか?
美しいオブジェのようなモノだろうか?
使い勝手のよいモノだろうか?
最先端の技術を駆使したモノだろうか?
新奇な意匠性を持ったモノだろうか?
生活を潤すようなユーモアやウィットに富んだひねりのあるモノだろうか?
今までに無い課題の解き方をしたものだろうか?
所有欲を満たすようなフォルムや存在感だろうか?
斬新な概念を取り入れたモノだろうか?

私なりの結論を言えば、これらはデザインを成立させるための部品でしかない。
それを先鋭的に押し出したものは、単に「部品の表現」であってデザインではない。
もちろん私の個人的な意見。

デザインを志す人は一度考えてみて欲しい。

料理で置き換えたらわかりやすいかもしれない。
料理を創作するのも一つのデザインだ。
例えば、
滅多に入手できない高価な食材を手に入れた。
で、特別な調理法で料理した。
まずいのは論外として
食べた人が、珍しい味わいだから話の種にはなるかもしれないけど、別に次も食べたいとは思わないかな?・・・と感じたらそれは何がデザインされたのだろうか?新奇性に価値があるということだろうか?
・・・ということだ。
料理なんだから美味しくなければね!
posted by rio at 01:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思考記録