2007年07月08日

自然科学と工学(2)

■全ては欲望から

物事の客観的な成り立ち(今回の文脈で言えば作品の存在理由)を追い求めた結果、私はついに一歩も進めなくなりました。

しかしある時、簡単なことに気づきました。


例えば「あなたが友達と会った」とします。
これに対して、この行動の客観的な理由を説明するとどうなるでしょうか?

「二人で約束したから」と説明したり、「一緒に遊ぶから」と目的や意味から説明することはできそうです。

普段の生活で説明する分には問題ないけれど、実は根本的なことを何も説明できていません。




あなたは友達に会いたかったのです。




・・・どんなことも人が関わっていることは欲望が出発点になっていると私は考えます。欲望というとちょっとアクの強い言葉ですがという「人間が何かを求めようとする想い、意識、心の動き」というニュアンスです。この世界の成り立ちも様々な説明がなされるけれど、結局はみんなが「こうしたい!」と想う、その相互作用の結果だと思います。

客観的説明と言うのは結果やそこに至るまでのプロセスを説明しているに過ぎません。

説明をどんどん複雑に、精密化していっても核心には辿り着かないでしょう。

無から有が生まれる瞬間には欲望が関与しているのであって、
完全に説明し尽くせる領域ではないと思います。



・・・こうして、ものづくりにおいて自分の中から湧き出てくるものを出発点にしようと考えるようになりました。(ま、言葉にしてしまうと当たり前なんですが)



■ビジョン

人が関わる以上全ての物は欲望が出発点になっていると書きました。しかし「自分はこうしたい」と思ったことをそのまま形にすれば良い、というわけではなさそうです。なぜならそれは単なるエゴの産物かもしれないからです。お客さんが納得しながら一緒に考えていけるような物を提示する必要があります。

だから自分の個人的な想いからエゴという要素を取り去ったものを提示できないといけないわけです。


ではどうすればいいのかというと、それは「ビジョンを描くこと」なんじゃないかと思います。


ビジョンというのは、そこに広がる具体的な理想の未来のことです。


ささやかな理想でも良いと思うし、究極の理想でもいいと思います。建築に関わる諸条件、お客さんの要望、予算、時間、かけられる労力、そういった枠組みの中で描ける最高の未来を描き出すこと。
これが大事だと思っています。
それは個人的な想いや執着といったエゴを超えて、多くの人を巻き込みながら、案の可能性や潜在力を高めていく方法だと考えています。

理想を未来に向けて掲げること。
全てのデザインはここから出発する必要があると思います。

※もう一歩踏み込んで言うと本当に自分がやりたいことを実現させるためには、
個人的な欲望や執着を捨てないと、プロジェクトを進める上で足かせになってしまうのです。
目的に対して厳格であれば、どうすればよいのか自ずとわかります。


■そして工学

今まで書いてきたアプローチで設計を進めると
→ビジョンを描く
→諸条件の中で形を与える
→シュミレーション
→修正
→うまくいかないときは最初のビジョンにフィードバック

こうした循環をぐるぐる巡りながら論理的整合性を与えていきます。なぜ論理的整合性が重要かというと、基本設計の段階でここら辺をしっかりさせておかないと、その後の実施設計やディテールの考え方、部材の選定基準、お客さんへの説明に矛盾が生じてくるからです。でたらめな物をお客さんに出すわけにはいきません。


さて、回り道になりましたが、こうした物作りのアプローチこそまさに工学だったのです。

工学というと建築の環境工学とか構造力学、材料工学、土木工学、家具で言えば人間工学など、なにやら実験と数字とコンピュータ解析というようなイメージが強いので、デザインと工学は別物と思われがちです。

しかし、初期モデルを与え、シュミレーションをしながら、そこから得られたことを初期モデルへフィードバックさせるというのは同じです。例えばエンジンも図面通りに初期モデルを完成させても予測通りに動くとは限りません。無数の要因が絡み合って思うような結果が得られ無いことの方が多いと思います。そこでシュミレーションしながら、要因を特定して、少しずつ全体を修正していくわけです。

各社のエンジンが違う形をしているのは、初期モデル(ビジョン)が違うからであり、シュミレーション方法や、分析の質が異なるからです。もっと言えば、培ってきた設計思想や価値基準、美的基準も違うからです。

・・・ということは設計者(達)の特性を反映させやすい方法でもあると言えそうです。
だから工学的アプローチだからといってオリジナリティーや芸術的側面の否定には全く繋がらないのです。

また、仮の枠組みとしてのモデルを与えるところからスタートするので、膨大な情報の読み込みや分析に追われてデザインが始まらない、ということもありません。(もちろんある程度調べますけど)
非常に現実的なアプローチでもあると思います。

今までの経験や、培ってきた知識や手に入る情報から出発できる進め方と言えます。


■フレームについて

フレーム(枠組み)があるというのは、新たな知を発見したり、価値を生み出していくときに欠かせない概念です。フレームがあると人間の能力というのは良く発揮できるようになっています。また、他の人が見ても理解しやすくなります。

どういうことなのか?

例えば将棋というゲームがありますが、限られた盤面と駒を使って棋士は無数に手を考え、戦局を読みます。限定された領域があることで、奥行きのある創造力を発揮することができるようになるわけです。

また、映画や小説でもこの方法は良く使われています。
殺人事件は密室で殺人がおきますよね。あるいは事件が起きたら橋が落ちたとか、電話線が切られて外界から遮断されたという設定に移行します。そこに居合わせた主人公なりが問題を解決するわけですが、あえて限定された領域を設定しているわけです。これを「限定性」といいます。

「タイタニック」も周りは凍り付くような海が広がっていますし、深海やSFものとかも領域が限定されています。「24」も全てのことが同時進行してリアルタイムに、かつ24時間で解決するというフレームがあって初めていろんな要素が盛り込めるのです。

逆にいうと、殺人事件が起きて犯人が普通に逮捕されたり、トム・クルーズが危機に陥ったときスーパーマンが現れて危機を解決したりはしないわけです。限定性が崩れるので、主人公の能力は全然発揮されません。また、24時間ではなくて1000日で同じことを延々と放送されても、見てるこっちまで疲れてしまいます。主人公は知力や行動力を駆使して、たくましく生き抜く魅力的な人ではなく、面倒事にたえず巻き込まれている人としか見えなくなってきます。


・・・というわけで、プロジェクト固有の知を見つけ出すためにもフレームがあるというのは結構重要な要素だったりします。
そういう意味でもまず最初にモデル(ビジョン)を作り出す、ということが大事になってきます。


■まとめ

自然科学が物事の成り立ちを求めて核心(中心)に向かって知を導き出すジャンルなのに対して、工学はこれから先の未来において、現実の問題により良く対処していくための知を生み出すジャンルだとも言えると思います。「〜とは何か?」ではなく「何のために?」という問いかけが意味を持ってくると思います。ですから工学は自然科学の中に含めるのではなく、別個のジャンルなんじゃないか、というのが自分なりの結論です。向いてる方向が違うわけですから。


デザインを進めていく中で、この工学的な知を発見する瞬間、そこからフィードバックしてビジョンが完成する瞬間が大好きです。複雑な全体の中で、歯車が強力にかみあうような充実感があり、挑戦するに値する面白さがあります。





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posted by Rio at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記
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