堀江さんの「10年修行するのはバカ」発言。この一連の議論を覚えておいでだろうか?
堀江さんがyoutubeの「ほりえもんチャンネル」で視聴者から質問をうけた。コロンビアで寿司屋を開きたいのだがどう思うか?との質問に対し、寿司アカデミーに行けば、数ヶ月でノウハウを学べるわけで、長期間の下積みは不要、という持論を展開した。
堀江さんが言いたかったことは、海外で寿司屋を開きたいという目標に対して最短でたどり着ける方法がいくらでも転がっているのに、慣習や常識に囚われて時間を無駄にするな、ということだと思うが、これは全くその通りだなと思う。(言い方は別として。)今回の話で言えばコロンビアで寿司屋を経営するのに、江戸前寿司の技法、作法の全てを学ばないといけないってことはないだろう。第一、市場に出回る魚も違うし、お客さんの味覚も文化も違う。
たしかに寿司アカデミーに象徴されるように素早くノウハウを吸収できるようになった。
しかしその反面、現在起きていることがあって、それを将棋の羽生さんが明快な言葉で指摘している。
将棋の世界において、あらゆる対局があっという間にネットに出まわって、過去から現在に至るまで棋譜を大量に学習できるようになった。その結果、高速にレベルアップ可能になったけれど、その先で大交通渋滞が起きている、と言った。
時代を象徴するような発言でどちらの発言も興味深い。勝手にまとめると、
・堀江さん:高速にノウハウを学習できる環境を上手に使って目的を達成せよ。
・羽生さん:大量に情報を摂取できる状況だが、その先で大交通渋滞が起きている。
知りたいことを瞬時に目眩がするほど大量に入手可能な時代。
しかもネットにさえ接続できれば誰でも可能になったわけだ。
ちなみにyoutubeでは1分間で200時間の動画がアップロードされるそうだ。
一生かかっても吸収できないぐらい大量の情報が、秒単位でふくれあがっている。
・・・「量」はわかった。
ではネットではどういう「質」の情報を手に入れることが出来るのか?
そんなことを考えながら、インターネットに毎日触れるうちに、あることに気付いた。
インターネットの情報はコンテンツとしてまとめるために、個別の内容を扱っている。
たとえば「鯛の切り身の作り方」「酢飯の作り方」「巻物の巻き方」・・・・といった具合にテーマを絞って一本の動画にしている。
ところが例えば注文が異常に集中した時の「対処方法」や「店内と厨房とのオペレーション」、
あるいは景気が悪くなった時のお店の切り盛りや、仕入れた魚の状態に応じた寿司の作り方については学べない。
(いずれもケースバイケースであるし、微に入り細にいった説明が必要で、多岐にわたりすぎてコンテンツとしてまとめにくい。)
したがって「コンテンツ同士の関係性」とか「関係性の中のコンテンツ」といった
「関係性」についてはほとんど学べない。
・・・ここに交通渋滞の要因があるように思う。
実際はこんなに単純ではないが、わかりやすく数字で考えるとこうなる。
例えば5つのコンテンツがあるとすると、コンテンツは時系列で展開するから前後関係や重複による組み合わせの違いも存在するとすれば、6^5=7776通りとなるだろうか?(※1)
50のコンテンツならその関係性は関数電卓でも表示しきれない天文学的な数になる。
コンテンツだけをポケットに山盛り入れたところで、誰もそれを活かしきれない。
コンテンツ=武器を手に入れれば安心するのが人の性だが、ポケットに入れるほどに混乱が起きる。
「コンテンツの増加に伴う関係性の爆発的増加」・・・これが交通渋滞の正体ではないか?
ではこの交通渋滞を回避する方法はあるのだろうか?
あるいはそれを脱することは出来るだろうか?
堀江さんの起こした一連のネット上議論の中で、職人の世界にある「見て盗め」という考え方に対して否定的な意見も多く見受けられた。しかし「見て盗め」とは、このような思考の交通渋滞を回避する方法なのかもしれない。結局は現場の中で自ら試行錯誤しながら持続的に考え抜いて「関係性」をモノにしなければ本当の前進は無いということなのだろう。そのモノにした関係性こそ、まさに「生きたノウハウ」といえるのではないか?
※情報爆発の別の回避方法として人類が見いだしつつあるのが、最近とかく話題のAIだとか深層学習だ。コンピュータを使って爆発的な組み合わせ数の中から最適解を見いだそうということだが、これはまた別稿で。